特別名勝栗林公園のシンボル「掬月亭」を10倍楽しめる亭内のこだわりポイント

高松藩の藩主が代々受け継ぎながら完成させてきた特別名勝栗林公園は、国内外から多くの観光客が訪れる人気の観光地。
その中でも「栗林公園を訪れたのであれば、必ず立ち寄っておきたい場所」のひとつとして挙げられるのが掬月亭(きくげつてい)です。

栗林公園を撮影した写真にも登場し、公園のシンボルとしても知られる掬月亭。
どの方向から見ても正面に見える「四方正面」の造り(数寄屋風書院造)をしており、園内の風景に美しく映えています。

歴代藩主がこよなく愛した建物で、大切なお客様を招くのにも使われたと言われるこの掬月亭。
外からの見た目だけでなく、建物にもさまざまな「ひと工夫」が加えられています。
せっかく掬月亭に立ち寄るのなら、見どころをきっちり押さえた上で立ち寄ってほしい。
そんな思いから、今回は掬月亭の見どころについてご紹介します。

掬月亭の内装に注目

掬月亭に立ち寄ると、初筵観(しょえんかん)でお茶(煎茶、もしくは抹茶)とお茶菓子を楽しめます。
そのお部屋を細かく見てみると、1つひとつが職人によってきめ細やかに仕上げられていることが分かります。

まず、注目していただきたいのは初筵観一の間
床の間付近には美しい井桁菱格子(黒漆塗菱井桁)が施されており、奥には麻糸を使ってこまかく織られたもじり障子がかけられています。
今では保存のためにアクリル板で閉じられていますが、当時はもちろんそんなものはなく、この布が網戸のような役割をしていたと考えられています。

さらに、部屋の欄間にも美しい模様。
中央で一際目を引くハート型は、「猪目(いのめ)」という模様で、猪の目の模様。
この模様には魔除けの意味も込められていると言われています。

何気ない壁や天井にも注目

掬月亭の壁や天井の白い部分。
昔の和室といえば糊土や漆喰などが主流でしたが、掬月亭の壁や天井には主に越前和紙が用いられています。

これは、建物の軽量化と、室内を明るく保てるというふたつのメリットがあります。

掬月亭は少しでも広く外の景色を楽しんでもらえるようにと、柱の太さも通常より細く設計されています。
そのため、建物の軽量化や周囲の景色の見え方など細やかな部分まで配慮が行き届いています。

室内から見る根上り五葉松

もともとは小さな盆栽だったものが、月日をかけて成長し、高さ8メートル、幹の太さ3.5メートルの大きさまで成長したと言われる根上り五葉松。栗林公園にはこの他に五葉松が2本ほどあります。

天保4年(1833年)に松平頼恕(よりひろ)が江戸で徳川家斉から五葉松の盆栽を賜ったものが植えられていると言われており、樹齢は約300年。
幹や枝葉の広がりの美しさには、大きくなっても盆栽の面影を残しています。

掬月の間は最大のビューポイント

掬月亭に立ち寄ったなら、ココを見なければ始まらないというのが掬月の間。
外から見た時の池に迫り出した部分は見た目の美しさが魅力ですが、中からの眺めもまた格別。
秋の紅葉や夏の新緑など、四季折々の美しい景色を特等席で眺めることができます。

そして、掬月の間には、この景色を最大限に楽しんでもらえるよう、部屋の柱と縁側の柱が重なるポイントが設けられています。
もし、室内から外に向けて写真を撮る際には、ぜひこのポイントを見つけてみてください。

船の上をイメージした空間設計

掬月の間は、船の上に浮かんでいるようなイメージで設計されています。
池に迫り出し、目の前に南湖が広がっていることはもちろん、縁側の手すりが船をイメージして斜めに付けられているなど、こまかい部分にも船をイメージしたこだわりを見ることができます。

床の間と南湖側の格が同じ

掬月の間は、床の間のある部屋(一の間)と、南湖に迫り出したお部屋(二の間)の2部屋が繋がっています。
本来、ふたつ並ぶお部屋の場合は床の間のある方が格が高いとされますが、掬月の間は、床の間のある側(一の間)に比べて南湖側(二の間)の天井をより豪華にし、格を上げることによって両部屋を同格にしています。
どちらに座しても平等にすることで、席にこだわらず自由に楽しめる空間設計としています。
(一の間:樅板棹縁天井、二の間:黒漆塗格縁天井)

床の間にも注目

掬月の間の床の間の畳縁をよく見ると、徳川家の葵の紋が刻まれています。
これは、初代高松藩主である松平頼重が水戸黄門としても知られる徳川光圀の兄にあたり、徳川家との縁が深いことから、平成23年に公益財団法人松平公益会から寄付されたものです。
徳川将軍家ゆかりの限られた人しか使うことが許されていなかった葵の紋が、床の間の畳縁に葵の紋が刻まれていることに驚かれる方も少なくありません。
掬月亭の見どころのひとつでもあるので、ぜひお越しの際にはチェックしてみてください。

凛とした雰囲気の茶室

四季折々の景色を楽しめる広々とした掬月の間の奥に設けられた小さな茶室。
柱や梁は一部、木の皮が禿げて剥き出しになっており、古くて劣化したように見えますが、実はこの造りは建築された当時のもの。
コルクの材料にもなるアベマキの木を使い、所々に皮が残っているように見える部分は、黒漆を塗り、後で加えた演出。
よく見ると梁や天井にも同様に部分的に黒漆が塗られています。
黒漆が塗られた部分は雲に見立てられたものと言われています。

今は一般的には使用されていませんが、八橋を通って茶室に入り、お茶を楽しむといったこともできるよう、茶室の隅には躙口(にじりぐち)も設けられています。
また、窓の外には大きく成長した大正天皇のお手植え松を見ることができます。

掬月亭の雨戸は128枚

掬月亭は昔の建物なので、周囲は雨戸で囲まれています。
OPEN時は、この雨戸がすべて開かれていますが、掬月の間を見ても分かるように、襖の部分には1枚の雨戸も残っていません。
これは、雨戸を外して運んでいるわけではなく、角の部分に設けられた切妻棒を使って雨戸を反転させ、奥へと運んでいるためです。

昔は自宅に同じような設計がされているところもあったようですが、今では数も少なくなり、なかなか見られない珍しい設計となっています。
普段は雨戸を開け閉めしているところを見ることはできませんが、イベントなどで公開されていることもあるので、チャンスがあればぜひ一度ご覧になってください。
(8時と16時30分以降に開け閉めをしているので、見ることができます)

他にもまだまだ見どころがたくさん

他にも掬月亭にはさまざまな見どころがあります。
一つひとつ注目して見たり、外の景色を眺めながらゆっくり過ごしたりしていると、時間を忘れて過ごせること間違いありません。
ぜひ、こまかい見どころまでチェックしてみてください。

踏み分け石の上に置かれた関守石(結界石)

実際にお庭に出ることはできませんが、室内から眺めていると、庭の踏み分け石に関守石が置かれています。
これは茶道において客人を誘導する目的です。
進んでほしい方向とは別のルートには今でいう「立ち入り禁止」の札のような役割で関守石を置いています。
直接的な表現を避けた茶の湯の心を表した奥ゆかしいものです。
訪れた客人はそれを汲み取り亭主のもてなしを受けるために席入りします。

実は全部お菓子?掬月亭の模型

掬月亭に入り、初筵観に進む途中、ショーケースに入った掬月亭の模型が置かれています。
これは「香川二六会」という和菓子職人と洋菓子職人10〜15名で半年もの時間をかけて作成されました。
何気なく見ていてもこまかい部分まで作られた模型になっています。

ただ、驚くのはこの模型、すべてお菓子でできているという点。
掬月の間にある襖や畳の1枚1枚まで細かく作られており、そのすべてがお菓子で作られていると分かると多くの方に驚かれます。
ぜひ、訪れた記念にご覧になってください。

香川県出身の総理大臣大平正芳氏題字の屏風

掬月亭の外からも見える位置に飾られた大きな屏風。
これは、「栗林園二十有詠応教」と題され、栗林公園の見どころについて語られている実際の詩で、1770年に儒者の青葉士弘が詠んだもの。
屏風には第68・69代内閣総理大臣の大平正芳が自筆題字を揮毫されています。

知れば知るほど楽しくなる掬月亭の魅力

実は、掬月亭は昔は今より建物が多く、その形が北斗七星に似ていることから別名「星斗館」とも呼ばれていました。
今ではそのカタチは変わっていますが、当時の趣は残されており、細部まで知っていくことで、より魅力が感じやすくなります。

ここまで読まれた方はぜひ、訪れた際に内容を思い出しつつ、細部の見どころにまで注目して見学してみてください。

事前予約をすればランチも楽しめます

掬月亭は入亭料を支払うことで入亭が可能です。
種類 大人 小人
お抹茶(菓子付き) 700円 500円
お煎茶(菓子付き) 500円 400円

さらに、夏季(7月・8月)と冬季(12月・1月・2月)を除くシーズンには、事前予約をすればランチを愉しむことも可能です。
四季折々の美しい景色に囲まれながら、穏やかな空気の中でいただくお食事は格別です。
※人数や状況によってお食事は日暮亭でお願いする場合がございます。詳しくはお問い合わせください